Michael Jackson|アーティスト歴史 完全版 — グラミー13回受賞・38ノミネート / 一夜8冠は42年破られず / 『Thriller』7,000万枚 全記録
▲ Michael Jackson「Thriller」Official 4K Video(michaeljacksonVEVO)。14分の短編映画としてつくられたこのミュージックビデオが、音楽と映像の関係そのものを書き換えた。
数字で見る Michael Jackson
グラミー賞 受賞 13回 / ノミネート 38回
1984年 第26回グラミー賞で 一夜8冠 ── 当時の史上最多記録
『Thriller』の推定セールス 約6,600万〜7,000万枚 ── 史上最も売れたアルバム
米国内の認定枚数 3,400万ユニット(2021年時点・RIAA)
ソロ・アルバム5作が全世界2,000万枚超 ── 到達したのは彼だけ
『Bad』約3,500万枚 / 『Dangerous』約3,200万枚 / 『HIStory』約2,000万枚 / 『Off the Wall』約2,000万枚
Bad World Tour(1987–1989)全123公演・動員440万人・興行収入1億2,500万ドル
Dangerous World Tour(1992–1993)全70公演・動員約400万人
ロックの殿堂入り 2回 ── ジャクソン5として1997年、ソロとして2001年
グラミー・レジェンド賞 1993年(34歳で受賞・妹 Janet Jackson が授与)
グラミー生涯業績賞 2010年(没後)
1983年『Motown 25』でムーンウォークを初披露 ── テレビ史に残る1回の演奏
はじめに ── 「記録」ではなく「基準」を作った人
グラミー賞の歴史を artists 単位で追っていくと、受賞数の多い人、話題を作った人、時代を象徴した人が並ぶ。そのなかで Michael Jackson だけが少し違う位置にいる。彼は記録を塗り替えただけでなく、そのあとの音楽産業が何を当たり前とするかを決めてしまった。
ミュージックビデオに映画並みの予算をかけること。アルバムから何枚もシングルを切って1年以上チャートに居座らせること。ワールドツアーをスタジアム規模で回すこと。黒人アーティストがポップの中心に立つこと。いま誰もが「そういうもの」と思っている前提の多くは、1982年から1984年のあいだに彼と Quincy Jones が実際にやってみせて、それが成立すると証明したものだ。
この記事では、ゲイリーの小さな家から2009年6月までを時代順に追いながら、グラミー賞の受賞歴を軸に「何が更新されたのか」を確認していく。
第1章 1958–1968 ── インディアナ州ゲイリー、9人きょうだいの7番目
1958年8月29日、Michael Joseph Jackson はインディアナ州ゲイリーに生まれた。製鉄の町で、父 Joseph はクレーン操縦士として働きながら、かつてバンドをやっていた。家には楽器があり、子どもたちが触った。
Jackson Brothers として兄たちが始めたグループに、Michael は5歳で加わる。地元のクラブ、タレントショー、シカゴやニューヨークの劇場。少年時代の大半は、学校ではなくステージの上にあった。この時期に身につけた「客の前で仕上げる」感覚が、のちの完璧主義の土台になる。
第2章 1969–1975 ── Jackson 5 とモータウン、デビュー4曲連続の全米1位
1969年、Jackson 5 としてモータウンからデビュー。「I Want You Back」「ABC」「The Love You Save」「I'll Be There」が立て続けに全米1位に立つ。デビューシングルから4曲連続の首位は、当時前例のない出来事だった。
この時点で Michael は11歳。グループのリードボーカルであり、ダンスの中心であり、テレビカメラが最初に寄る顔だった。子どもがポップスターとして機能するというフォーマットが、ここで完成している。
第3章 1975–1978 ── エピック移籍、そして『The Wiz』での出会い
1975年、一家はモータウンを離れ CBS/エピックへ移籍する。グループ名は The Jacksons となり、Michael は作曲に本格的に関わり始めた。
決定的だったのは1978年の映画『The Wiz』だ。かかしの役で出演した Michael は、音楽監督を務めていた Quincy Jones と出会う。当時の Quincy はジャズとフィルムスコアの巨人で、ポップのプロデューサーとして見られてはいなかった。この組み合わせが、5年後に音楽産業の地図を描き替える。
第4章 1979 ── 『Off the Wall』、大人の歌手としての再デビュー
1979年の『Off the Wall』は、Michael が20歳で出したソロアルバムだ。ディスコ、ファンク、バラード、そしてどこにも属さないポップ。「Don't Stop 'Til You Get Enough」「Rock with You」が全米1位となり、アルバムは約2,000万枚を売った。
商業的には大成功だったが、グラミー賞では Best R&B Vocal Performance, Male の1部門のみの受賞に終わる。Michael はこの結果に強い不満を持ったと繰り返し語っている。「次は誰も無視できないものを作る」──『Thriller』はこの悔しさから始まっている。
第5章 1982 ── 『Thriller』、1枚のアルバムが産業を変えた
1982年11月30日発売。プロデュースは Quincy Jones。9曲のうち7曲がシングルカットされ、すべてがトップ10に入った。当時はアルバムから2〜3枚切れば十分という時代で、これ自体が発明だった。
「Billie Jean」は全米7週1位。そしてこの曲のミュージックビデオが、MTV が黒人アーティストの映像をほとんど流していなかった状況を力ずくでこじ開ける。以後、MTV は Michael Jackson なしには成り立たなくなった。
推定セールスは約6,600万〜7,000万枚。40年以上たったいまも、史上最も売れたアルバムとして記録は破られていない。
▲「Billie Jean」Official Video(michaeljacksonVEVO)
第6章 1983 ── 『Motown 25』、45秒でテレビ史が変わる
1983年5月16日に放送されたモータウン25周年記念特番。Michael は「Billie Jean」を1人で歌い、途中でムーンウォークを見せた。滑るように後退する、あの動きだ。
この夜の放送を見た人数は5,000万人規模とされる。翌日から、街のあちこちで子どもが同じ動きを練習していた。1曲の演奏がここまで即座に文化を書き換えた例は、テレビの歴史でもほとんどない。
第7章 1984 ── 第26回グラミー賞、一夜8冠
1984年2月28日、ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアム。Michael Jackson はこの一夜で8つのグラミーを持ち帰った。それまでの単年最多記録は Paul Simon の7(1970年・「Bridge Over Troubled Water」)で、それを更新した。
受賞内訳は、Album of the Year(Thriller)、Record of the Year(Beat It)、Best Male Pop Vocal Performance(Thriller)、Best Male R&B Vocal Performance(Billie Jean)、Best Rock Vocal Performance, Male(Beat It)、Best R&B Song(Billie Jean)、Best Recording for Children(E.T. the Extra-Terrestrial)、そして Producer of the Year(Quincy Jones との共同)。
一夜8冠は、2000年に Carlos Santana が並んだだけで、いまも超えられていない。
▲「Beat It」Official 4K Video(michaeljacksonVEVO)── 1984年の Record of the Year 受賞曲
第8章 1985 ── 「We Are the World」、チャリティソングの原型
1985年、Michael Jackson と Lionel Richie が共作した「We Are the World」が録音される。プロデュースは再び Quincy Jones。アフリカの飢餓救済のために、当時の米国のトップアーティストがひと晩でスタジオに集まった。
翌年のグラミー賞で Record of the Year を含む複数部門を受賞。以後の「大人数によるチャリティソング」はすべてこの形式の派生である。
第9章 1987–1989 ── 『Bad』と、スタジアムツアーという発明
1987年の『Bad』は、アルバムから5曲を全米1位に送り込むという新記録を作った。1枚から5曲の首位は、それ以前には存在しない数字だ。セールスは約3,500万枚。
続く Bad World Tour は1987年9月12日に日本で開幕し、1989年1月27日まで全123公演。動員440万人、興行収入1億2,500万ドル。1988年7月のウェンブリー・スタジアム7夜連続公演は、いまもスタジアム興行の教科書として参照される。
この時期の映像作品「Smooth Criminal」は、映画『Moonwalker』の一部として制作された。斜めに傾いて静止するリーン・ダンスは、特許を取得した靴の機構によって実現している。
▲「Bad」(michaeljacksonVEVO)
▲「Smooth Criminal」Official Video(michaeljacksonVEVO)
第10章 1991–1993 ── 『Dangerous』、そして34歳でのグラミー・レジェンド賞
1991年の『Dangerous』は、Teddy Riley を迎えてニュージャックスウィングを取り込んだ。約3,200万枚。「Black or White」のミュージックビデオは、当時最新のモーフィング技術で人種の境界を溶かしてみせた。
Dangerous World Tour は1992年6月27日から1993年11月11日まで全70公演、動員約400万人。
そして1993年、第35回グラミー賞で Michael はグラミー・レジェンド賞を受ける。34歳での受賞であり、授与したのは妹の Janet Jackson だった。
▲「Black Or White」Official Video(michaeljacksonVEVO)
第11章 1995 ── 『HIStory』、集大成と反撃
1995年の2枚組『HIStory: Past, Present and Future, Book I』は、Disc 1 がベスト、Disc 2 が新曲という構成だった。約2,000万枚。
新曲側は明確に攻撃的だ。「They Don't Care About Us」「Scream」(Janet Jackson とのデュエット)には、報道と社会に対する苛立ちがそのまま入っている。ポップスターが自分に向けられた視線を主題にして1枚を組み立てた例として、いまも参照される作品である。
▲「They Don't Care About Us」(michaeljacksonVEVO)
第12章 1997–2009 ── 『Invincible』、そして This Is It
1997年にジャクソン5の一員としてロックの殿堂入り。2001年にはソロアーティストとして2度目の殿堂入りを果たす。同年の『Invincible』が、生前最後のスタジオアルバムとなった。
2009年、ロンドンの O2 アリーナで50公演の連続公演「This Is It」が発表される。チケットは即日完売した。だが初日を迎えることなく、2009年6月25日に Michael Jackson は50歳で亡くなった。
第13章 2009年以降 ── 没後の評価と、2010年の生涯業績賞
2010年、レコーディング・アカデミーは Michael Jackson に生涯業績賞(Lifetime Achievement Award)を授与した。1993年のレジェンド賞と合わせ、アカデミーが用意した特別賞のうち2つを受けたことになる。
通算成績は13勝・38ノミネート。数字だけを見れば、Beyoncé や Kendrick Lamar のような後年の記録保持者のほうが上回る。だが「一夜8冠」という単年記録は42年間破られておらず、『Thriller』のセールス記録も同様だ。
GAJ(ジ・アソシエーションジャパン)がグラミー賞の歴史をたどるとき、Michael Jackson は「たくさん獲った人」ではなく「そのあとの全員の前提を作った人」として置かれる。
グラミー賞 受賞歴 ── 13勝 / 38ノミネート
1980年 第22回:Best R&B Vocal Performance, Male「Don't Stop 'Til You Get Enough」
1984年 第26回:Album of the Year「Thriller」
1984年 第26回:Record of the Year「Beat It」
1984年 第26回:Best Male Pop Vocal Performance「Thriller」
1984年 第26回:Best Male R&B Vocal Performance「Billie Jean」
1984年 第26回:Best Rock Vocal Performance, Male「Beat It」
1984年 第26回:Best R&B Song「Billie Jean」(ソングライターとして)
1984年 第26回:Best Recording for Children「E.T. the Extra-Terrestrial」
1984年 第26回:Producer of the Year, Non-Classical(Quincy Jones と共同)
1986年 第28回:Song of the Year「We Are the World」(Lionel Richie と共同)ほか
1990年 第32回:Best Music Video, Short Form「Leave Me Alone」
1993年 第35回:グラミー・レジェンド賞(特別賞)
1996年 第38回:Best Music Video, Short Form「Scream」(Janet Jackson と共同)
2010年 第52回:グラミー生涯業績賞(特別賞・没後)
Big 4(Album of the Year / Record of the Year / Song of the Year / Best New Artist)のうち3部門を制している。Album of the Year は1984年の『Thriller』、Record of the Year は同年の「Beat It」、Song of the Year は1986年の「We Are the World」。
ソロ・スタジオアルバム一覧
1972年『Got to Be There』
1972年『Ben』
1973年『Music & Me』
1975年『Forever, Michael』
1979年『Off the Wall』── 約2,000万枚
1982年『Thriller』── 約6,600万〜7,000万枚
1987年『Bad』── 約3,500万枚
1991年『Dangerous』── 約3,200万枚
1995年『HIStory: Past, Present and Future, Book I』── 約2,000万枚
1997年『Blood on the Dance Floor: HIStory in the Mix』(リミックス+新曲)
2001年『Invincible』── 生前最後のスタジオアルバム
発行:株式会社ブラッシュミュージック / GAJ(ジ・アソシエーションジャパン)。グラミー賞の制度と会員区分については GAJ の各ページをご覧ください。


コメント