【第29回 グラミー賞 1987】ポール・サイモン『Graceland』が南アフリカ文化ボイコット渦中にAOTY受賞 — 越境とアパルトヘイトの倫理を問うた歴史的一夜
更新日:2 時間前
1987年2月24日、ロサンゼルス・シュライン・オーディトリアムで開催された第29回グラミー賞は、ポール・サイモンの『Graceland』に最優秀アルバム賞(Album of the Year)を与えた。アパルトヘイト体制下の南アフリカで現地ミュージシャンと共同制作された本作は、国連の文化ボイコット決議に抵触するとして強烈な批判を浴びた一方、ワールドミュージックを米国メインストリームへ押し上げた歴史的金字塔としても評価される。賞は、この相反する評価を一身に背負って手渡された。
出来事の背景
1985年、ポール・サイモンはアパルトヘイト政策下の南アフリカへ渡り、現地のミュージシャン — Ladysmith Black Mambazo、General M.D. Shirinda、Tao Ea Matsekha など — と共にヨハネスブルグでレコーディングを行った。国連は1980年に南アフリカに対する文化的ボイコットを採択しており、Artists United Against Apartheid を率いていた Steven Van Zandt らは「Sun City にも、南アフリカ国内にも、どんな米国人アーティストも入るな」というキャンペーンを展開していた最中の出来事だった。
サイモンは事前にハリー・ベラフォンテに相談し「ANCの承認を得てから行け」と助言されたが、これを無視して渡航。完成した『Graceland』は1986年8月に発売され、Mbaqanga、ズールー伝統音楽、isicathamiya といったジャンルを米国の聴衆へ初めて本格的に届けた。商業的には全米3位、世界1600万枚超を記録する大ヒットとなり、評価と批判が同時並行で渦巻く稀有な作品となった。
受賞の瞬間
第29回グラミー賞では、Album of the Year部門でジャネット・ジャクソン『Control』、ピーター・ガブリエル『So』、スティーヴ・ウィンウッド『Back in the High Life』、バーブラ・ストライサンド『The Broadway Album』と競い、ポール・サイモンが受賞。本人はステージで Ladysmith Black Mambazo のリーダー Joseph Shabalala らへの謝辞を述べ、共同制作者としての南アフリカ・ミュージシャンの存在を強調した。
なお同年、表題曲「Graceland」は Song of the Year にノミネートされたが受賞は逃した。しかし翌1988年(第30回)で同じ録音が今度は Record of the Year を受賞するという、グラミー史上きわめて異例の「同一録音が2年連続でビッグ3にノミネート、別の年に別部門で受賞」というレアケースを生んだ。
文化的・産業的意義
『Graceland』は「ワールドミュージックがメインストリーム・ポップに組み込まれる」現象の歴史的起点として記憶される。レコーディング業界では、本作以降「ノン・ウェスタン音楽×西洋ポップ」のクロスオーバー作品が次々と商業化され、ピーター・ガブリエルの Real World レーベル設立(1989)、デヴィッド・バーン Luaka Bop の躍進など、ワールドミュージック・ブームの地盤を作った。
一方で「Cultural Appropriation(文化盗用)」という言葉が音楽産業内で本格的に議論されるきっかけにもなった。共同制作者へのクレジット表記・印税配分・著作権処理が後年まで論争を呼び、現在のシンク・ライセンスやコラボレーション契約における「事前同意・対等な著作権分配」というスタンダードを形成する歴史的な参照事例として、いまもケーススタディに使われ続けている。
GAJ 視点 / 日本の音楽業界への示唆
日本のアーティストが海外のローカル・ジャンル(K-POP、アフロビーツ、ラテン、ガムランなど)とコラボレーションする際、『Graceland』ケースは「事前のコミュニティ承認」「ローカル・ミュージシャンへの対等なクレジット」「印税配分の透明性」「政治的文脈の事前リサーチ」の4点を、ベスト・プラクティスとして示している。GAJはグラミー賞の歴史を体系的に学ぶことで、日本の越境制作の倫理的フレームワークを更新し続けていく。
発行:株式会社BRUSH MUSIC / GAJ ヒストリー


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